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八村塁はどんな人物?両親や兄弟姉妹もバスケ選手なの?オリンピックでは得点王!?

国際バスケットボール連盟 (FIBA) が紹介した有力選手10名に名を連ねた八村塁選手。

7月18日、FIBAが「パリ2024オリンピックで絶対に見るべき選手トップ20」の第1弾として八村塁選手を含む10名が紹介されました。

では、バスケットボール界のスーパースターたちが並ぶなか、選出された八村塁選手とは、どんな人物なのでしょうか?

気になりますよね?

そこで今回は、八村塁選手について色々と調べてみました。

八村塁はどんな人物?

八村塁選手は1998年2月8日、富山市で日本人の母とペナン人の父の長男として生まれました。

幼少時は陸上の短距離と、野球をやっていたそうです。

野球では、投手と捕手を兼任していました。

しかし、あまりにも球速が早いため、他の子供たちは捕球できなかったとか。

小学校を卒業後、地元の奥田中学校に進学。

しかし、八村塁選手は野球部には入部しませんでした。

後日、その理由を八村塁選手は次のように語っています。

「誰もボールを捕れなかったんです。」

加えて、股関節に成長痛を発症したこともあり、野球から離れることになったのです。

中学に入学した頃には成長痛は消えていましたが、4月下旬になっても部活動が決まっていませんでした。

その後、熱心な友人の勧誘を受けてバスケットボール部に入ることに。

同級生にNBAオタクがいたこともあり、その影響でバスケットにのめりこんでいった八村塁選手。

部活がオフの日も、公共の体育館でシュート練習をするなど努力を重ね、急速に力を伸ばしていきました。

そして、中学3年時の全国中学校バスケットボール大会で準優勝し、大会ベスト5に選出されます。

主力として活躍した八村塁選手の元には、全国の強豪高校から次々と勧誘が舞い込みました。

当時からNBAを意識していた八村塁選手が重視した条件は「卒業後に米国の大学に行ける高校」だったそうです。

しかし、前例がない条件に戸惑った高校が多い中、宮城の明成高校だけは、ある提案をしました。

それは「NCAA(全米大学体育協会)はかなり難しい。

カナダの大学なら可能性はある」という代替案でした。

これが決め手となり、明成高等学校への進学が決まりました。

1年生で出場した全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会では、32得点を記録。

明成高等学校の優勝に貢献しました。

2年生になった大会でも2年連続優勝に貢献し、2大会連続でベスト5に選ばれています。

また、2013年9月にイランで行われたアジアU-16選手権に出場し、チームの大黒柱として活躍。

チームも3位に入りました。

2014年のU-17世界選手権では、16チーム中14位に終わりましたが、八村塁選手は1試合平均22.6得点で大会得点王に輝いたのです。

その存在を世界に知らしめた八村塁選手は、2015年4月にニューヨークで開催された「ジョーダン・ブランド・クラシック」に日本人として初めて選出。

世界選抜チームの一員として出場し、18分の出場で9得点を記録しました。

17歳という若さで世界選抜チームに選ばれるとは、当時からすごい選手だったんですね!

2014年のU-17世界選手権での実績も評価され、米国のワシントン州にあるゴンザガ大学に進学が決まった八村塁選手。

これで、夢だったNBA入りに一歩近づいたのです。

そして、苦手だった英語の勉強にも本格的に着手しました。

八村塁選手のお母さんは英語講師。

ペナン人のお父さんは、英語、フランス語、日本語など7か国語が話せるという。

こんな両親から譲り受けた語学センスもあり、ゴンザガ大進学後に、英語がメキメキと上達しました。

大学進学後、1年目からフレッシュマンとしてチームに参加。

出場時間が限られていたものの、NCAAディビジョン1デビューを果たしたのです。

NCAAディビジョン1は、NCAA(全米大学体育協会)の最高レベルに位置する大学スポーツのカテゴリーのひとつ。

NCAAディビジョン1へのデビューは、トップ選手への第一歩を踏み出したと言えるでしょう。

2年目は、ベンチスタートながら1試合平均11.6得点の活躍で存在感を発揮しました。

3年目になると、フィジカルの強さとシュート精度に磨きがかかり、全米でも屈指のフォワードへと成長していきます。

1試合平均21.5得点の数字をマークし、ウェスト・コースト・カンファレンスの年間最優秀選手に選ばれました。

因みに、ウェスト・コースト・カンファレンスとは、アメリカのカレッジスポーツにおけるカンファレンス(リーグ)の一つです。

ゴンザガ大は、NCAAトーナメントでは惜しくもファイナル4に届きませんでした。

しかし、オールアメリカチームへの選出や、ジュリアス・アービング賞(全米ベストスモールフォワード賞)などのタイトルを総なめにした八村塁選手。

名実ともに全米屈指のバスケットボール選手となった八村塁選手は、NBAドラフトへのエントリーを表明します。

2019年4月15日、八村塁選手が大学3年生の時でした。

米国内の大学4年生以外でドラフトでの指名を可能にする「アーリーエントリー」に登録したのは、八村塁選手を含めて233人。

指名は2巡目までの60人で、非常に狭き門となります。

2019年6月20日、八村塁選手は、ワシントン・ウィザーズから1巡目9位指名を受けました。

1981年にNBAドラフト指名を受けた岡山泰崇(おかやま やすたか)選手以来のできごとでした。

その後、2022年までワシントン・ウィザーズでプレー。

2023年1月23日に、ロサンゼルス・レイカーズへ移籍しました。

2023年、八村塁選手は33試合に出場、96得点を記録しました。

チームはプレーオフに進出し、メンフィス・グリズリーズとのファーストラウンド第1戦では、チーム最多の29得点を記録。

チームの勝利に貢献しました。

2024年のシーズン前半はケガもあり、ベンチスタートが多かったですが、2月に入ってスタメンに起用。

20得点越えの21得点を記録したり、自己最多となる6本の3Pを決めるなど、キャリアハイとなる36得点を記録するなど、活躍を続けています。

八村塁の両親はどんな人?

実は、ご両親は八村塁選手が中学1年生の時に離婚しています。

しかし、離婚後も家族としての付き合いを続けているようです。

お父さんのザカリ・ジャビルさんは、アフリカのベナンのご出身です。

元バスケットボールの選手だったようで、八村塁選手は「運動能力や身体能力は父親から受け継いだ」と話しています。

学業優秀なエリートでもあり、日本語を含む7ヶ国語を話すことができるそうです。

現在は、日本とベナンをつなぐ外交の仕事をしているのではないかと言われています。

2019年に、日本で第7回アフリカ開発会議が開催され、その時ザカリ・ジャビルさんも出席していました。

従って、外交の仕事をしている可能性は高そうです。

お母さんの八村麻紀子さんは、富山県のご出身で語学が堪能な方です。

ニュージーランドに留学した経験があり、英語とフランス語の教室を開いていたそうです。

ご両親のなれそめは明かされていませんが、語学が出会いのきっかけになったのかもしれませんね。

離婚後も、お父さんは八村塁選手に継続的に会っていたようなので、あまりさみしい思いはしなかったそうです。

八村塁の兄弟や姉妹はどんな人?

八村塁選手は4人兄弟で、弟が1人、妹が2人います。

このうち、弟はプロのバスケットボール選手、上の妹は高校までバスケットボールをしていました。

弟の阿蓮(あれん)さんは、お兄さんの影響を受けて中学1年生の時からバスケットボールを始めました。

阿蓮さんも身長が高く、198㎝あります。

U-16日本代表、U-18日本代表、U-22日本代表に選出されました。

現在は、B1「群馬クレインサンダーズ」でプレーしています。

次に、上の妹の安美菜(あみな)さんですが、明星学園高等学校でバスケットボールをしていました。

卒業後の進路については、留学予定と紹介されていました。

(月間バスケットボールWEB 2020年3月7日)

しかし、大学の情報は見つかっていません。

その後のバスケットボールに関する報道がないことから、現在はバスケットボールから離れているのかもしれません。

下の妹のまりさんは、八村塁選手と年齢差が結構あるように見えます。

そのせいか、八村塁選手はまりさんをとても可愛がっているようです。

まりさんについては情報がなく、バスケットボールをしているという報道も見つかりませんでした。

八村塁がオリンピックで得点王になる見込みは?

2023―24シーズンは、名門レイカーズで1試合平均13.6得点、4.3リバウンド、1.2アシストの成績を収めた八村塁選手。

3ポイント成功率が42.2%と、高いシュート精度も見せています。

国際バスケットボール連盟 (FIBA)は、八村塁選手について「八村がパリ五輪で得点ランキングのトップに立つことになっても驚かないでください」と紹介。

チームの「点取り屋」としてのポテンシャルが評価されたのです。

現代のバスケットボールでは、3ポイントの精度の高さが重要なポイントとなります。

203㎝のサイズの選手が3Pを42.4%の確率で決めるというのは、かなり珍しいことだそうです。

「八村塁選手がオリンピックで得点王になる見込みはある」と言っても差支えないでしょうね。

まとめ:八村塁はどんな人物?両親や兄弟姉妹もバスケ選手なの?

全米でも有数のトップ選手に上り詰めた八村塁選手。

前回の東京オリンピックで1勝もできなかった経験を糧に、パリオリンピックに昇順を合わせてきたそうです。

48年ぶりに自力でオリンピック出場を果たした日本代表チームのエースとしてチームをけん引してほしいですね!

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