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小池百合子氏の父親・小池勇二郎はどんな人物?カイロ大学の学歴詐称問題と関係ある!?

7月7日の東京都知事選を前にして、何かと話題の多い、現都知事の小池百合子氏。

特に出身大学とされるカイロ大学卒業に関する疑惑については、世間を騒がせていますね。

このような小池百合子氏に大きな影響を与えているのが、お父さんの小池勇二郎氏とされています。

かなりバイタリティーのあった方のようで、小池百合子氏はこの方をのDNAをしっかり受け継いでいるようです。

そこで今回は、小池勇二郎さんがどのような方なのか調べてみました。

小池百合子の父・勇二郎の経歴は?

1922年、兵庫県神戸市生まれの小池勇二郎氏の経歴は、波乱万丈と言えるでしょう。

第二次世界大戦中は、旧海軍に属していた小池勇二郎氏。

また「満州国有鉄道」(満鉄)の経理部にも所属した経歴もあります。

そこでは、野球チーム「満鉄クラブ」でショートをこなしたほどですから、かなりの運動神経の持ち主でもあったのでしょう。

終戦後は、ペニシリンなどを扱う闇市で財を成したとか。

(出典: 文藝春秋 小池百合子「オヤジ」2008年6月号)

もっとも当時、闇市での稼業は、ある意味自然な話だったようです。

敗戦直後の日本では、誰もがその日を生き抜くのに精一杯でした。

小池勇二郎氏が軍人という仕事を失って収入が途絶えた後、生活のために闇屋稼業に携わっていたのは、当たり前のことだったんでしょうね。

その後、衣料品関連や石油関連の商品を扱う貿易会社を複数経営。

その際に、エジプトやサウジアラビアなどのアラブ諸国の指導者層との人脈を形成したようです。

そして、30代の若さで「関西経済同友会」の幹事を務めます。

旧海軍の軍人からビジネスマンへの転身は、大成功だったわけですね。

しかし、小池勇二郎氏が本当に興味があったのは、「ビジネス」ではなく「政治」でした。

1968年、青年作家だった石原慎太郎氏が参院選全国区に出馬しました。

そして、小池勇二郎氏は石原氏の政治団体「日本の新しい世代の会」の関西地区の選挙責任者になりました。

当時、小池勇二郎氏は石原氏を支援していたというより、傾倒していたそうです。

選挙の結果、石原氏は史上最高の301万票を集めて初当選しました。

これで自信をつけたのか、自分も1969年の衆院選に立候補することを決意しました。

小池勇二郎氏、47歳の時でした。

旧兵庫2区から出馬しましたが、事情があって、自民党の公認が得られませんでした。

石原氏の「日本の新しい世代の会」を看板に、無所属での立候補となってしまったのです。

小池勇二郎氏自身は、石原氏との関係があるので大丈夫だと思っていたようです。

しかし、結果は7000票しか取れずに落選してしまいます。

お嬢さんの小池百合子氏は『町の有権者相手に(日本の話はせず)アルジェリア情勢などを語る演説では、勝てるはずもなかった』と述べています。

(出典: 文藝春秋 小池百合子「オヤジ」2008年6月号)

遠い外国の話ばかりしても、町の有権者は耳を傾けてくれないですよね。

人生をかけた選挙で惨敗してしまった小池勇二郎氏。

この頃から、それまで順風満帆だった人生にかげりが見え始めます。

落選が影響したのか、経営していた会社が倒産。

そして、兵庫県芦屋市にあった邸宅を売り払うまでになってしまいました。

しかし、けたはずれにエネルギッシュだった小池勇二郎氏がこのままで終わるはずがありません。

芦屋の邸宅を売り払った後、なんと一家でエジプトに渡るのです。

そして、エジプトのカイロで日本料理店「なにわ」を開店。

その後、カイロに20年以上住んでアラブ人脈を温めてきました。

元々、貿易商を営んでエジプトなどアラブ諸国を何度も訪問し、各国の大臣クラスに太い人脈を築いていた小池勇二郎氏。

エジプトのカイロに店を開いても、不思議ではないですよね。

その後、日本に帰国。

2013年に90歳で亡くなりました。

持ち前のバイタリティと才覚で人生を切り開いてきた小池勇二郎氏。

小池百合子氏の原点は、まさにお父さんの生き方そのものにあったようです。

小池百合子の学歴詐称問題とは?

小池百合子氏は、1976年に「カイロ大学文学部社会学科」を卒業したとされています。

しかし、1992年の参院選の頃から、卒業を疑う報道がなされるようになりました。

そのため、小池百合子氏は疑惑に対抗すべく、カイロ大学の卒業証明書を写真で紹介しました。

当時連載中だった「週刊ポスト」のコラム「ミニスカートの国会報告」(1993年4月9日号)の中でのことでした。

その後、「文藝春秋」2018年1月号に、石井妙子さんのルポルタージュ「女たちが見た小池百合子『失敗の本質』」が掲載されます。

ところが、この記事を読んだ、カイロ大学時代の同居人とされる女性から、石井妙子さんに手紙が届きます。

その内容は『小池百合子さんはカイロ大学を卒業していません』というもの。

この女性(北原百代さん)は、『1976年の進級試験で小池百合子氏は「落第」した』と証言しています。

一方、カイロ大学は、小池百合子氏について「1976年10月にカイロ大学文学部社会学科」を卒業したことを証明しています。

進級さえできなかった人が「卒業」したことになっているのです。

また、小説家でカイロ・アメリカン大学大学院修士号を取得した黒木亮さんは、次のように語っています。

『小池氏が卒業したと称している時代は、サダト政権時代(1970~81年)。

この時代のカイロ大学などエジプトの大学では、不正な卒業証書の発行が行われていました。

小池氏の卒業証書は、小池勇二郎氏の知人(有力政治家)のコネを利用したものです。』

有力政治家の依頼であれば、大学の学長は職員に命じて卒業証明書や卒業証書を作らせるのがエジプトの「社会常識」だとか。

もし、これが事実であれば、政府開発援助国である日本の政治家、小池百合子氏に対する政治的配慮と言えるのかもしれませんね。

小池百合子の父・勇二郎とカイロ大学の関係は?

かつて、小池勇二郎氏は石油輸入の仕事に携わっていました。

当時、アラブ諸国の要人とパイプをつくるため、日本アラブ協会に入会していた小池勇二郎氏。

1970年、エジプトの政治家、ムハンマド・アブドゥル・カーデル・ハーテム氏が来日しました。

小池勇二郎氏は、歓迎パーティーでハーテム氏と面識を得たのです。

ハーテム氏は、3人の大統領(ナーセル大統領、サダト大統領、ムバラク大統領)に副大統領や副首相として仕えた人物です。

『エジプトに来たらいつでも歓迎する』という社交辞令を真に受けた小池勇二郎氏は、同協会所属の国会議員の紹介状を手にエジプトへ飛びました。

ハーテム氏は、小池勇二郎氏のことを日本の政界に太いパイプを持つ実業家と思い込み、アラブの別の要人たちを紹介しました。

これが、小池一家とエジプト政界が結びつくきっかけとなったそうです。

そして、小池百合子氏はハーテム氏のコネを使い、1973年10月、カイロ大学2年に編入しました。

すでに日本の大学に在学中でしたが、小池勇二郎氏が事業に失敗して学費の支払いに困っていました。

そこで、物価の安いエジプトへの留学を選んだようです。

他にも「国際連合の公用語にアラビア語が加わる」という新聞記事を読んで、アラビア語通訳を目指したという理由もあったそう。

その後、国会議員になった小池百合子氏は、たびたびカイロを訪れ、歴代のカイロ大学日本語学科長らと親密な関係を築いたと言われています。

エジプトとしても、経済援助を受けている国の有力政治家との関係は大切にしたいでしょう。

エジプトを始めとするアラブ諸国は、コネとワイロが幅を利かす社会だそうです。

カイロ大学もその支配下にあり、エジプトが小池百合子氏の卒業証明書作成依頼を受け入れる可能性は、十分にあったと言えるでしょう。

まとめ:小池百合子氏の父親・小池勇二郎はどんな人物?

小池百合子氏のお父さん、小池勇二郎氏の経歴は、関西の商人らしいたくましさに満ちたものでした。

特に「石油」に目をつけてアラブ諸国を渡り歩き、太い人脈を築くなど、並大抵のことではありません。

小池勇二郎氏のバイタリティーや行動力は、小池百合子氏にしっかり受け継がれているようです。

もし、学歴が今ひとつ不確かなものだったとしても、父親譲りの行動力こそ、小池百合子氏の真の実力と言えるかもしれませんね。

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