『全日本仮装大賞』といえば、知らない人はいないような大人気番組なのではないでしょうか。
そんな仮装大賞の司会者と言えば、【欽ちゃん】こと、萩本欽一さんですよね。
しかし、そんな萩本欽一さんは2021年2月6日放送の『全日本仮装大賞』で、唐突に「今回で私この番組終わり」と述べました。
さらには、同じく2021年には『ラジオ深夜便』も降板してしまいました。
それでは、現在は萩本欽一さんは何をしているのでしょうか。
また、若い人には知らない人も多いかもしれませんが、萩本欽一さんと言えば、かつては伝説の『視聴率100%男』でした。
その当時のことについても振り返ってみたいと思います。
萩本欽一は現在は何してる?
まず、萩本欽一さんについて簡単にご紹介しましょう。
萩本欽一さんは1941年5月7日生まれで、現在は御年81歳です。(22年10月時点)
萩本欽一さんはもともと坂上二郎さんとともに人気コンビ、コント55号として活躍してきました。
さらには2005年に芸人としては初めて、社会人野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」を結成し監督を務めたことでも有名です。
しかし、最近はすっかりテレビで見かけることも少なくなってしまった印象の萩本欽一さん。
現在は何をしているのでしょうか。
株式会社萩本企画(株式会社 萩本企画 (hagimoto-kikaku.co.jp))のホームページを覗いてみると、
2022年現在もテレビやラジオへの出演が確認できます。
しかし、現在もっとも力を入れている活動は、なんとYouTubeの配信のようです。
『(萩本欽一)欽ちゃん80歳の挑戦!』というチャンネルで、
毎週2回、1回1時間から1時間半ほどの番組を更新しています。
このチャンネルでは2つの企画を大きな柱としています。
視聴者と一緒に理想のお墓を考える「欽ちゃん最後の夢物語」という企画と、
かつて一緒に番組をつくってきた人を招いてトークをする企画です。
驚くべきところは、これが生配信で放送されている、という点です。
80歳になり、数年前から闘病生活をしていた妻のスミさんを亡くします。
そして、身体も思うように動かなくなり、自宅で転倒を繰り返すことも増えてきたとのことです。
そのような状況下で、若い頃のように多くのことを並行して行うのは困難だ、と判断します。
その結果、萩本欽一さんは『全日本仮装大賞』も『ラジオ深夜便』も降板する決断に至ったとのことでした。
そして、現在はYouTubeの配信という1本に集中して活動を続けているのです。
一世を風靡した萩本欽一さんですが、現在はたくさんの人に見てもらうことよりも、
身近な人に楽しんでもらえる、ファンクラブの集いのような配信にしたいと考えているようです。
なぜ欽ちゃんは「視聴率100%男」だった?
『視聴率100%男』とはどういうことでしょうか。
1980年代のテレビはまさに欽ちゃん一色の時代でした。
欽ちゃんの人気はとどまるところを知らず、次々に高視聴率を記録していました。
『欽ちゃんのどこまでやるの!?』は最高視聴率42%
『欽ちゃんの週刊欽曜日』は最高視聴率31.7%
『ぴったし カン・カン』は最高視聴率37.6%
『オールスター家族対抗歌合戦』は最高視聴率28.6%
このように驚異の視聴率を叩き出していたのです。
そして、各番組の合計した視聴率の数字から『視聴率100%男』と称されるようになったのでした。
視聴率、と言ってもイメージしにくいかもしれませんね。
そこで、近年の視聴率を具体例に挙げてみましょう。
紅白歌合戦が視聴率40%前後、日本テレビの『絶対に笑ってはいけない』が視聴率20%前後です。
年末の大特番でこのような数字ということから、通常の放送で毎回のように視聴率30%を叩き出していたことがいかにすごいことであったかがわかると思います。
なぜこのような数字を出すことができたのでしょうか。
実は、今では当たり前となっている、番組にゲストとして出演した素人にツッコむ「素人いじり」や、司会者の横にアシスタントを置くシステムはこの当時はありませんでした。
欽ちゃんが初めてテレビ界に導入し、それまでの常識を次々と覆していったのです。
欽ちゃんはこれまでにない新しいことに次々とチャレンジしてきたからこそ、多くの人が魅了され、新しい笑いのきっかけとなったのです。
萩本欽一の若い頃【人気番組まとめ】
引用:https://www.pinterest.jp/pin/455004368582593053/?nic_v3=1a2XdoFCg
〇『全日本仮装大賞』
欽ちゃん、と聞いて今の若い世代の人が一番に思いつくのがこの番組でしょう。
なんと、この番組は1979年に紅白歌合戦の裏番組として初めて放送されました。
内容はご存じの通り、一般人がテレビで仮装を披露する、というものです。
紅白歌合戦には超有名歌手が勢ぞろいしているので、あえて【素人】で対抗しようとした番組でした。
その後42年も続く長寿番組となるのでした。
〇『欽ちゃんのどこまでやるの!?』
ステージにセットを組み、観客を入れた公開録画放送でした。
当時の夜9時台はドラマや映画を中心とした大人向けの番組が主流でした。
そこで初めて放送された1時間のファミリー向けバラエティ番組でした。
今では当たり前に使われているピンマイクを民放では本格的に使用した番組でもあります。
〇『欽ちゃんの週刊欽曜日』
番組開始当初は、各コーナーを週刊誌の連載漫画に見立てて進行していました。
- ミュージカル・コメディー ザ・ちなみショー
- 男と女のポエム
- 欽ちゃんバンド
などのコーナーがあり、コントの後に幅広いジャンルの曲の演奏が披露されていました。
〇『ぴったし カン・カン』
タレントだけでなく一般人も出場していた視聴者参加型のクイズ番組でした。
久米宏さんがメインの司会を努めており、萩本欽一さんと坂上二郎さんがチームキャプテンを務めていました。
クイズ番組と言っても、大喜利の要素が強いトークに重点を置いた番組でした。
〇『オールスター家族対抗歌合戦』
毎週芸能人や著名人の家族が5組出場し、萩本欽一さんとの爆笑トークの後に歌を披露する、というものでした。
この番組をきっかけとして萩本欽一さんはコント55号を離れて仕事をするようになりました。
後の「素人いじり」のきっかけとなった番組とも言われています。
まとめ|萩本欽一は現在どうしてる?
引用:https://www.instagram.com/p/Bkwy9gmjsMU/?hl=ja
今回は現在の萩本欽一さんの様子と『視聴率100%男』と呼ばれた当時について掘り下げてみました。
- 現在はテレビ、ラジオの仕事は基本的に引退しているが時々ゲスト出演している
- 現在はYouTubeで週に2回の生配信を主な仕事にしている
- 1980年代、各番組で高視聴率を出しており、その合計から『視聴率100%男』と称されていた
- 今では当たり前になっていることを初めてテレビ界に導入し、それまでの常識を次々と覆したことで常に高視聴率を出すことができた
いつまでも新しい挑戦を続ける萩本欽一さんの偉大さが、高視聴率に結びついていることが納得できますね。
80歳を迎え、身体に不自由は感じているようですが、これからもお元気で活躍してほしいですね。