2024年10月4日に88歳の誕生日を迎えられた北島三郎さん。
若い方には、競走馬「キタサンブラック」のオーナーとして知られているかもしれません。
しかし、北島三郎さんは日本の演歌の象徴とも言える存在。
今でも冠番組「サブちゃんと歌仲間」で元気な姿を見せていらっしゃいます。
ただ高齢なこともあり、体調が心配されることもあるようです。
ところで、こんな北島三郎さんですが、若い頃はイケメンでカッコ良かったんです。
そこで今回は、北島三郎さんの若い頃について調べてみました。
気になる現在の病状などもお伝えしていきます。
北島三郎の若い頃はイケメン?
北島三郎さんは、ニシン漁をされていたご両親の元に長男として生まれました。
幼少期の北島三郎さんは、目がパッチリしていて、早くもイケメンの雰囲気がありますよね。
当時、ニシン漁は漁獲量がかなり減り、北島三郎さんの家も生活が苦しかったようです。
北島三郎さんは、1つ下の弟が生まれると、祖父母の元に預けられました。
歌が大好きだったおじい様は、北島三郎さんをとても可愛がってくれたそうです。
その影響を受けて、歌が大好きな少年に成長しました。
地元の演芸大会に出場し、賞金や商品をもらったこともあったそうです。
その後、北島三郎さんは中学に進学しました。
生活は相変わらず苦しかったようで、中学を卒業後に就職をしようと思っていました。
しかし、成績が優秀だった北島三郎さん。
中学の先生は、高校進学を勧めると同時に、ご両親にも高校進学をお願いしたそうです。
先生の勧めもあってか、北海道函館西高等学校に進学した北島三郎さん。
高校生になっても、歌が好きな気持ちは変わりませんでした。
当時人気のあった、三橋美智也さんや岡晴夫さんのリサイタルを見に行っていたそうです。
そんな北島三郎さんは、高校生の頃に人助けをしました。
海で溺れていた小学生を救助して、当時の函館新聞に記事が掲載されたのです。
北島三郎さんの本名は、大野穣(おおのみのる)さんです。
お巡りさんに頭をなでられる北島三郎さんはちょっと恥ずかしそう。
現在の面影がありますよね。
この新聞記事は、函館市の北島三郎記念館に飾られているそうです。
また、函館で開催された「NHKのど自慢」に出場したのも高校生の時でした。
その時に歌ったのは「落葉しぐれ」という歌で、鐘は2つでした。
ただ、司会の宮田輝さんから「お上手でしたのにねえ・・・」と声をかけられたそうです。
北島三郎さんは、この言葉で「歌をやれば歌手の道があるかもしれない」と思ったそうです。
このNHKのど自慢への出場がきっかけで、歌手を目指すことを決心しました。
中学の先生が両親を説得してまで通っていた高校を17歳で中退。
18歳の時に、親族を頼って上京しました。
その後、東京声専音楽学校に入学。
そして、渋谷を拠点に流しの仕事をしながら、デビューを目指していました。
「流し」を行う日々で、3曲100円ほどで歌を披露していた北島三郎さん。
出典:https://koimousagi.com/35674.html
ある日、羽振りよく1000円を渡しリクエストしてくれた人がいました。
その人こそが、北島三郎さんの評判を聞いてやって来た、日本コロムビアの芸能部長でした。
後日、この芸能部長に呼び出され、作曲家の船村徹さんを紹介されます。
そして、北島三郎さんは「船村門下生」となりました。
1962年、ついに「ブンガチャ節」でデビューを果たしたのです。
しかし、このデビュー曲はヒットしませんでした。
出典:北島音楽事務所
同年にセカンドシングル「なみだ船」を発表し、「第4回日本レコード大賞 新人賞」を受賞しました。
「なみだ船」は北島三郎さんの出世作となったのです。
このレコードジャケットの北島三郎さん、本当にイケメンですね。
1963年、北島三郎さんは新レコード会社「日本クラウン」に移籍します。
この年には、NHK紅白歌合戦への初出場も果たしています。
1965年には、「兄弟仁義」「函館の女」などのヒット曲が生まれました。
そして、人気演歌歌手の仲間入りをしたのです。
その後、「与作」「まつり」などのヒット曲も生まれ、演歌界の大御所となりました。
北島三郎の現在は何の病気?
2016年8月、北島三郎さんは自宅のお風呂場で転倒してしまいました。
頸椎症性脊髄症と診断され、翌月に手術を受けた北島三郎さん。
この年の10月に「芸道55周年記念パーティ」が開催される予定でした。
北島三郎さんは、このパーティのために懸命にリハビリに励みました。
そして10月5日、無事にパーティが開催されたのです。
出典:https://www.kayou-center.jp/395
ところがパーティ終了後、北島三郎さんは救急搬送されてしまったのです。
無理がたたったのでしょうか、即入院となりました。
この時報じられたのは、パーティ中に食事も水も制限したために、貧血を起こしたとのことでした。
しかし、本当のところは、頸椎症性脊髄症が関係していたとされています。
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では、頸椎症性脊髄症とはどんな病気なのでしょうか。
頸椎症性脊髄症は、加齢で発症することが多い病気です。
神経伝達の障害で、加齢により骨と骨の間隔が狭まってしまい発症します。
その結果、手足がしびれたり、字を書くことが困難になったりします。
北島三郎さんは頸椎症性脊髄症の手術後、やや歩行がおぼつかない状態が続いているそうです。
2018年2月3日、高尾山薬王院で恒例の豆まきを行った際には、今ひとつ動きが思うようにいかなかったようです。
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北島三郎さんはこの時、次のようにおっしゃっていました。
「この症状とはずっとつきあっていくしかない。」
さらに「心配してもらい申し訳ないが、一日も早くステージに立てるようにしたいね」と、意欲を語っておられました。
その後、2019年11月20日、北島三郎さんは自宅で転倒、足の指を7本も骨折してしまいました。
それでも、12月12日に収録が行われた「歳忘れにっぽんの歌」に車椅子で参加されたのです。
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さすがに立って歌うことはできなかったため、客席から声援を送られました。
「初めて客席で見させてもらったが、みんな迫力ある歌声でよかったよ」とおっしゃっていました。
北島三郎の現在の病状は?
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北島三郎さんは2022年6月に芸歴60周年を迎えました。
現在の北島三郎さんは、持病の頸椎症性脊髄症の悪化と、足の指の骨折のため、車椅子生活をされています。
そして7月19日に、東京・八王子でライブを行った北島三郎さん。
この時も座ったままで歌われました。
ただ、歌声には張りがあり、トークもさえていたそうです。
北島三郎の今後の活動
12月6日、7日、8日には、明治座でファイナルコンサートが予定されています。
しかし、北島三郎さんの年齢や体力を考慮すると、今後、劇場での長期公演は難しくなりそうです。
ただ、通常のコンサートはこれからも続けられるそうです。
また、毎週土曜日にはBSテレ東で「サブちゃんと歌仲間」が放送されています。
北島三郎さんが、3~4人の歌仲間と新曲やリクエスト曲を歌う番組で、ゲストと楽しいトークを繰り広げるコーナーが人気です。
まだまだ歌い続ける意向を示された北島三郎さん。
引退などは考えていらっしゃらないとのことで、ひとまず安心ですね。
まとめ|北島三郎の現在の病状
出典:https://natalie.mu/music/news/459513
演歌界の頂点に君臨されるも、その親しみやすいキャラクターで、長きにわたって人気を保ち続けている北島三郎さん。
演歌の振興や後進の育成にも貢献していらっしゃいます。
「アメリカにジャズあり、フランスにシャンソンあり、日本に演歌あり」が口癖だとか。
これからも末長いご活躍を期待したいものですね。