独特のハスキーボイスと心揺さぶる歌唱力で、多くのファンを魅了する森進一さん。
過去に色々な病気を患ったため、現在は仕事をセーブしていますが、2024年7月には新曲「みれんの港」を発売しました。
情感あふれる唯一無二のハスキーボイスは健在で、関係者を安心させたそうです。
そこで今回は、こんな森進一さんの病歴を調べてみました。
また、森進一さんの現在の体調についてもお伝えしていきます。
森進一の今までの病歴は?
森進一さんはこれまでに何度も、大病を克服してきました。
具体的にどのような病気を患ったのか、まとめてみました。
C型肝炎、うつ病
1974年、代表曲の一つである「襟裳岬」がヒットしていた頃に判明。
徹底した体調管理を続けてきましたが、2年後に肝機能が悪化し、新しい治療を開始しました。
それは、主治医の勧めで始めた1年間の「ペグインターフェロン&リバビリン療法」というものでした。
その後、2005年3月に私生活で大きな変化がありました。
それは、妻である、歌手森昌子さんとの別居でした。
その心労もあってか、長年の持病であるC型肝炎をこじらせて入院してしまったのです。
さらに、闘病中にうつ病も発症してしまったのです。
そして同年4月に離婚が成立。
大きな負担となっていたであろう別居や離婚を乗り越え、2006年3月に回復、退院しました。
2008年10月5日に台東区のビクターショールームで、ファン限定のミニライブを開催。
この場で、2006年にC型肝炎が完治したことを報告しました。
C型肝炎が完治した森進一さんは、現在、同じ病気で苦しむ患者さんのために活動をしています。
「国が治療費の補助をする体制を作るように、訴えていく」活動だそうです。
肺がん
2014年5月10日に放映されたBS朝日「ザ・インタビュー〜トップランナーの肖像〜」で、肺がんの切除手術を受けていたことを明かしています。
『2、3年前に肺に腫瘍が見つかり、がんの告知を受けました。
手術は肺活量に影響を及ぼす可能性があったが、数人の医師からセカンドオピニオンを得て、決断しました。』
手術後はしばらく入院して、呼吸法などの訓練を受けたそう。
術後の経過は順調であるものの、高齢者として人一倍健康に留意しているそうです。
高血圧緊急症
2013年10月13日、大阪・歌舞伎座で開催した「2013森進一コンサート」の夜の部を中止した森進一さん。
昼の部終了間際に、突然の体調不良になってしまったのです。
めまいを訴え、血圧が高い状態で、診断結果は「高血圧緊急症」でした。
その後、1ヶ月程度療養し、現場復帰を果たしました。
肋骨骨折
2015年、夜中に階段から転げ落ちて肋骨を折ってしまいました。
一人暮らしをしていた森進一さんは、翌日、マネージャーが仕事の迎えに来るまで、身動きできなかったそうです。
携帯で連絡を取ることもできなかったとは、相当辛かったでしょうね。
森進一の現在の体調は?
2024年1月1日、自身のSNSで、長男のTakaさんとの親子ショットを公開。
「元旦に無事を確認・・・貴寛に自作のカレーライスで歓迎」と記し、元日に実家に帰ってきたTakaさんとソファでくつろぐショットをアップしました。
このショットを見る限り、森進一さんはお元気そうですね。
そして、2024年6月、今年初めてのテレビ収録に参加した森進一さん。
BS朝日の「人生、歌がある」という番組でした。
最近は仕事より健康第一だそうで、年齢を考慮して仕事をセーブしているとか。
一人暮らしの今、健康を維持する食生活を何よりも大切にしています。
『他人任せだと味優先の脂っぽい料理が出てくるからね。
僕は苦手なのに・・・。
だから、ほぼ3食、野菜中心の脂っぽくない料理を自分で作っています』
と自炊していることを明かしています。
森進一は若い頃からイケメンのハスキーボイスで大人気!
1965年、フジテレビ系の素人参加歌番組「リズム歌合戦」に出場し、優勝した森進一さん。
音楽プロデューサーのチャーリー石黒さんにその才能を見出され、渡辺プロダクション(ナベプロ)に所属しました。
元は普通の声で、ルックスも良かったため、ポップス系でデビュー予定で、スクールメイツに入りました。
しかし、イケメンではありますが、個性が弱かったため、方向転換。
チャーリー石黒さんは、売れるためには声を潰して演歌を歌うしかないと、森進一さんと渡辺プロを説得しました。
そして1966年、「女のためいき」で歌手としてデビュー。
森進一さんが初めて演歌をリリースした曲は、3枚目のシングル「女の波止場」でした。
この曲では、独特のハスキーボイスで、せつない女心をみごとに歌いあげています。
美声歌手が主流だった当時の歌謡界において、ハスキーボイスの歌手の登場は衝撃的でした。
世間からは「ゲテモノ」「一発屋」と酷評されてしまったのです。
しかしその後も「命かれても」「盛り場ブルース」と立て続けにヒットを飛ばした森進一さん。
ついにはデビュー3年目の1968年、ヒット曲「花と蝶」で、「第19回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たしたのです。
1969年、全国の港町の情景を織り込んだ「港町ブルース」を発表。
この曲で、第11回日本レコード大賞・最優秀歌唱賞を受賞しました。
さらに、この年の紅白歌合戦で、トリを務めるまでになったのです。
1971年、「おふくろさん」が発売され、同曲で2度目の最優秀歌唱賞を受賞しました。
1974年には、吉田拓郎さん作曲の「襟裳岬」を発表。
同曲で第16回日本レコード大賞、第5回日本歌謡大賞など多くの音楽賞を獲得しました。
フォークソング色の濃い「襟裳岬」との出会い以降、森進一さんの歌の世界は転換期を迎えました。
そして1979年2月、デビュー以来約14年間在籍した渡辺プロから独立。
森進一さんは自身の事務所である「森音楽事務所」を設立しました。
大手事務所からの独立は、芸能界における自身の居場所を失う可能性があります。
しかし同年夏に発表した「新宿・みなと町」がヒットし、以降の活動に弾みをつける契機となりました。
1982年、松本隆さん作詞、大瀧詠一さん作曲の「冬のリヴィエラ」を発表。
このポップス系の曲により、従来とは異なる新たなファン層を開拓しました。
「襟裳岬」や「冬のリヴィエラ」のヒットで、演歌の枠にとどまらず、幅広い歌唱で注目されるようになったのです。
ところで、森進一さんは演歌歌手という括りで扱われることが多いようです。
しかし、自身は演歌歌手と呼ばれることを嫌い、流行歌手であるとしています。
演歌の枠にとらわれず、常に新たな音楽の領域に挑戦し続ける幅広い音楽性を持っているのです。
「いい音楽であれば何の障壁もなく耳を傾け、自分の世界に取り込みたい」という思い。
この思いに共感したのが松本隆さん、大瀧詠一さん、長渕剛さん、小室哲哉さんなど他ジャンルのアーティスト達でした。
森進一さんは、彼らと積極的に交流し、提供曲を精力的に歌ってきました。
今でこそ、氷川きよしさんや島津亜矢さんのように、ジャンルに捉われない曲に取り組む歌手が増えてきました。
しかし、一般的に形式を重んじ急激な変化を好まない演歌界。
当時、その世界において、森進一さんのようなスタイルは希少だったようです。
森進一さんは、このスタイルの先駆者といえるのではないでしょうか。
まとめ:森進一の現在の体調や病歴は!?
2024年7月24日、新曲「みれんの港」と「おもかげ運河」(両A面)を発表した森進一さん。
『年々、歌声は衰えている』と謙遜している森進一さんですが、力強さやも張りもある歌声は健在です。
森進一さんの情感あふれる唯一無二のハスキーボイス。
これからも、健康に留意しつつ、歌い続けて欲しいですね。