テイラー・スウィフトさんは、ティーン世代を中心に絶大な人気を誇る、世界最強のポップアイコンの一人。
2024年2月7日から10日の4日間にわたって開催された約5年ぶりの来日公演は、大きな話題を集めました。
海外女性アーティスト初の東京ドーム4連続公演は、すべて完売!
しかも、来日直前の2月4日にグラミー賞アルバム賞を受賞したばかりという最高のタイミングでした。
そこで今回は、テイラー・スウィフトさんの生い立ちや世界の歌姫になるまでの軌跡をまとめてみました。
併せて、テイラー・スウィフトさんの代表曲や人気曲もご紹介していきます。
テイラースフィフトの生い立ちは?
テイラー・スウィフトさんは、1989年12月13日に米国ペンシルベニア州ウェスト・レディングで生まれました。
ペンシルベニア州のクリスマス・ツリー牧場で数年過ごした後、3歳でテネシー州ナッシュビル郊外に引っ越し。
ここでプレスクールおよび幼稚園に通い、その後私立学校に入学しました。
そして、テイラー・スウィフトさんが9歳になった時、一家はペンシルベニア州ワイオミッシング郊外に転居、ここで小・中・高校生活を送りました。
実は、おばあ様が元・オペラ歌手だったというテイラー・スウィフトさん。
その影響もあり、幼い頃から歌を歌ったり、ギターを弾いたりすることが好きだったそうです。
この頃、カントリーシンガーのシャナイア・トゥエインさんの歌を聴いて衝撃を受けたとか。。
このことが、カントリー・ミュージックを志すきっかけとなったようです。
週末には地元のフェスティバルやスポーツ・イベントで演奏するようになりました。
そして、地元のタレント・コンテストで見事優勝!
カントリーシンガーのチャールズ・ダニエルズさんの前座として出演する機会を得たのです。
その後、11歳の時に、カントリーミュージックで名高いテネシー州ナッシュビルのレコード・レーベルに自作のデモテープを提出。
しかし、多くのレーベルからの評価は低いままでした。
そんな中、12歳になったテイラー・スウィフトさんは、ギターで3コードの弾き方を覚え、初めて作曲を手がけました。
2003年、テイラー・スウィフトさんは両親と共に、音楽マネージャーのダン・ダイントロウさんと活動を始めました。
ダイントロウさんの助力もあり、RCAレコードショーケースでのオリジナル曲の演奏後、養成所に通うようになりました。
この養成所はナッシュビルにあったため、お母様とたびたびナッシュビルをおとずれるようになったテイラー・スウィフトさん。
その後、お父様が仕事でナッシュビルに異動となり、家族は再びナッシュビル郊外に。
テイラー・スウィフトさんは、ツアーに対応するため、ホームスクールのある私立のクリスチャン・スクールへ。
2年分を12ヶ月でこなし、高等学校卒業資格を取得しました。
テイラースフィフトが世界の歌姫になるまでの軌跡!
2004年、RCAレコードの養成所と契約し、Sony/ATVとの契約では、最も若いソングライターとなりました。
ニューヨークのライブハウスで行われたBMIソングライターズ・サークルのショーケースでの演奏。
その演奏後、Sony/ATV ミュージックパブリッシングにソングライターとして採用されました。
しかし、RCAレコードは、テイラー・スウィフトさんに他のソングライターの曲を歌わせたがったよう。
自身の曲でキャリアを開始したかったテイラー・スウィフトさんは、15歳の時にRCAレコードを離れたのです。
翌2005年、テイラー・スウィフトさんは、自身のレーベルであるビッグ・マシン・レコードの準備中でした。
そして、本人の名前を冠したアルバム『Taylor Swift(テイラー・スウィフト)』の制作に取り掛かったのです。
2006年、シングル『Tim McGraw』がリリース。
まだ新しいビッグ・マシン・レコードのため、テイラー・スウィフトさんとお母様はラジオ局に送るためのCDを封筒に入れる作業を手伝っていました。
そして、デビュー・アルバムのプロモーションのため、全国のラジオ局を回りました。
後に「ほとんどのアーティストはラジオ・ツアーに6週間を費やすが、私は6ヶ月かかった」と語っています。
その努力のかいもあって、アルバム『Taylor Swift』は、Billboard 200に19位で初登場し、1週間で6万1000枚以上を売り上げました。
その後、このアルバムはカントリー・アルバム部門で1位を獲得。
「ザ・ニューヨーカー」誌のサーシャ・フレア・ジョーンズさんは、テイラー・スウィフトさんを「神童」と呼び、称賛しました。
2008年11月11日に全米でセカンドアルバム『Fearless(フィアレス)』をリリース。
アルバムは、Billboard 200で初登場1位を記録。
全米で2009年のトップセールスアルバムとなったのです。
『Fearless』は、グラミー賞最優秀アルバム賞と最優秀カントリー・アルバム賞に選ばれています。
この受賞で、テイラー・スウィフトさんは最優秀アルバム賞を獲得した最年少のアーティストになりました。
当初はカントリーシンガ―として売り出したテイラー・スウィフトさんでしたが、現在のスタイルはポップ歌手の傾向が強くなっています。
現在までにグラミー賞を12回も受賞しているテイラー・スウィフトさん。
すごいのは、アルバムの売上だけではありません。
コンサートツアーの売上も記録的です。
2018年5月から11月にかけて開催された『Reputation Stadium Tour』。
5月8日から10月6日までの間に米国で38公演を行い、チケット売上は2億6610万ドル(約300億円)に達しました。
これは、米国の音楽業界史上、最大の売上でした。
最終的に、ツアーは3億4500万ドルの売上を記録したのです。
また、同年のアメリカン・ミュージック・アワードで、アーティスト・オブ・ザ・イヤーを含む4冠を達成。
過去の受賞を合わせると合計23となり、女性アーティストによる史上最多記録を打ち立てました。
さらに、2023年12月には、タイム誌の「パーソン・オブ・ザ・イヤー(今年の人)」に選ばれて大きな注目が集まっています。
これは、過去1年間の世界的なできごとに最も影響を与えたとみなされた人物やできごとに贈られる賞です。
しかし、テイラー・スウィフトさんのような芸能人としての功績が評価されたアーティストが選ばれたのは、初めてだそうです。
タイム誌は「今日現在、地球上でこれほど多くの人々を感動させることができる人物は他にいない」と評価しています。
本当にそのとおりですよね!
テイラースウィフトの代表曲と人気曲
テイラー・スウィフトさんの曲はどれも素晴らしいので、代表曲や人気曲を選ぶのは大変です。
そこで今回は、「みんなのランキング」というランキングネットで1位から3位までの曲をご紹介します。
第1位 We Are Never Ever Getting Back Together
ついつい口ずさむテイラー・スウィフトさんの曲の中でも、絶対に外せない人気曲です。
日本では、人気テレビ番組「テラスハウス」の主題歌に起用され、デジタル配信で130万ダウンロード超を記録しました。
リズミカルで明るいメロディーが心地よいという評価が多かったです。
第2位 Shake It Off
テイラー・スウィフトさんの代表曲といえば、この曲!
アップテンポな曲調はとってもノリがよくて、テイラー・スウィフトさんにピッタリ!
元気がもらえる曲ですよね。
第3位 You Belong With Me
セカンドアルバム『Fearless』からの3番目のシングルとしてリリースされました。
アンセム調でポップ風味のカントリー・ナンバーになっています。
テイラー・スウィフトさんの名前を世界に知らしめるきっかけとなった曲と言われています。
まとめ|テイラースウィフトの生い立ちは?
テイラー・スウィフトさんの3回目となる東京ドーム公演は、2024年2月7日から10日まで開催されました。
会場には、世界から多くのスウィフティーズ(テイラー・スウィフトさんのファンの総称)が集まっていました。
一方で、年配と思われる方や家族連れなど、客層が幅広いものになっていたのも、日本におけるテイラー・スウィフトさんの国民的な人気がうかがえたようです。
テイラー・スウィフトさんは、21世紀前半において最も人気のあるシンガー・ソングライターの一人です。
これからも、驚くべき飛躍を続けていくことは間違いないでしょう!