昭和を代表する日本の大スター、加山雄三さん!
名俳優、上原謙さんの長男として生れ、
慶応大学法学部を卒業後、1960年に俳優デビューします。
出演した「若大将シリーズ」は10年にも及ぶ大ヒット!
加山さんは俳優だけでなく歌手としても才能を発揮します。
「君といつまでも」「海 その愛」「お嫁においで」など数々の名曲を世に送り出し、
今でも世代を超えて多くのファンに愛されています。
若い頃から運動神経抜群で健康的なイメージの強い加山雄三さんですが、
実は80歳を過ぎてから二度も大病を患っておられるようです。
そこで今回は加山雄三さんの現在の気になる病状や後遺症についてまとめてみたいと思います。
加山雄三の脳梗塞の現在の病状は?
まず最初に加山雄三さんのプロフィールをご参考までに!
名前:加山雄三(かやま ゆうぞう)
本名:池端直亮(いけはた なおあき)
別名義:弾 厚作(だん こうさく)
生年月日:1937年4月11日
年齢:85歳
出身地:神奈川県茅ヶ崎市
身長:175㎝
血液型:A型
趣味:ビデオゲーム、鉄道、料理、マリンスポーツ
特技:油絵、スキー、サーフィン
職業:俳優、歌手、タレント、ギタリスト、ピアニスト、ウクレレ奏者、画家
活動期間:1960年~
配偶者:松本めぐみ
事務所:加山プロモーション
若い頃の加山雄三さんです!
出典:https://grapee.jp/998828
<加山雄三さんのご病気について>
加山雄三さんは80歳を過ぎてから脳梗塞と小脳出血を発症しました。
幸い、どちらも比較的軽症だったと言われています。
現在の病状についてですが、
後遺症がまだ少し残ってはいるものの、お元気に過ごされているようです。
現在生活されているのは「自立型ケアハウス」
そのケアハウスには生活支援サービスやトレーニングジムもあるみたいです。
成城のご自宅は数年前に引き払い、
かつて「卒婚」を宣言された奥さまも海外から日本に戻ってこられ、
ご夫婦一緒に生活されているとのこと!
出典:https://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20220906.html
加山雄三さんは2019年11月に軽い脳梗塞を発症し、
予定されていたコンサートを延期して治療に専念され、
この時は後遺症もなく退院されたそうです。
その翌年、2020年8月に夕食後に水をがぶ飲みした時に誤嚥してしまい、
激しく咳き込んだことが原因で軽度の小脳出血を起こして緊急搬送されました。
この時も約3か月入院治療を受けて無事に退院されたようです。
しかし、奥様の松本めぐみさんが当時のことを明かした内容によると、
かなり大変だったことが分かります。
加山雄三さんを担当した医師から、
脳からの出血が止まらずに広がるようなら意識もやがて無くなってしまうでしょう。
その時に生命維持装置をつけるかどうか決めて欲しいと家族を集めて言われたんだそうです。
この時はショックのあまりすぐに返事をすることができず、
このまま一晩様子を見ながら考えてから翌朝必ずお返事しますと…。
確かにいきなりそんなことを言われても、考えられませんよね!
加山雄三さんに呼ばれて1人だけで会いに行った奥さんは、
「大丈夫だから頑張って」と励まし…
駐車場では子供たちと肩を寄せ合って泣いたそうです。
結果、幸いにも出血はあまり広がることなく加山雄三さんは無事回復されました。
その時のことを加山雄三さんご本人も
「倒れた時のことを思えば、五体満足に歩けるなんて奇跡的なこと」
このように言われています。
加山雄三さんは以前は休日に船で過ごすのが楽しみだったそうですが、
現在は船に乗りたいとは思わないし夢中だったゲームもしなくなったそうです。
「カミさんとしゃべったり、散歩するのが幸せだなぁ」
そんなふうに思うんだそうです。
加山雄三の病気の後遺症は?
2020年に小脳出血を克服し無事に退院された加山雄三さん!
しかし、2021年3月にフジテレビ系のワイドショー『とくダネ!』に久しぶりに出演した時のインタビューの中で、
「左半身の軽度の麻痺、軽度の言語障害がある」ことを明かされたようです。
退院した頃はマネージャーにもう一度言ってくださいと言われるほど、
全く会話が聞き取れない状態だったそうです。
そこでひたすら発音の訓練をするなど努力し、
半年後にはかなり普通に話せるようになったんだとか。
番組では加山雄三さんの口から「回復は70%」という言葉が飛び出し、
自力でしっかり歩行されていたそうです。
それからしばらくして回復は80%だとおっしゃっています。
そして現在もリハビリで週3~4回、約1キロのウォーキングをしたり、
発音を完璧にするため、言語トレーニングを続けるなど惜しまない努力は流石です。
一番心配していた歌については、
声もちゃんと出るし発音にも全く違和感がないそうです。
ただ話す時に滑舌の悪さを感じてしまうのがネックみたいですね!
若い頃からスポーツ万能でスキーでは2度も国体に出場、
健康面にも注意して、50歳でタバコを辞め、お酒も64歳でやめたんだとか…。
もしかするとそのような努力のおかげもあり
倒れてもひどい後遺症が残らずにすんだのかもしれませんね。
そして若い頃から食べることが大好きだったと言われる加山さん。
過去にしゃぶしゃぶのお店でご飯を13膳も食べたことがあるそうです。
さすがに今はそんなことはないみたいですが、
食欲はあり顔色も良く髪の毛も地毛だとおっしゃっています。
日々の努力を惜しまず後遺症も徐々に克服していった加山雄三さんですが、
高齢を理由に2022年に年内でコンサート活動から引退すると発表!
『24時間テレビ』では最後の「サライ」を国技館のステージで熱唱しています。
そして、最終公演に選ばれた場所は豪華客船「飛鳥Ⅱ」でした。
コンサート以外では第73回NHK紅白歌合戦が最後のライブパフォーマンスに…。
歌ったのはあまりにも有名な名曲「海 その愛」
出典:https://www.nishinippon.co.jp/nsp/sp/image/598688/
この時の加山雄三さんは声もしっかり出ており、
何よりも血色も良かったと思います。
そして身体が一回り大きくなったように見えましたが、
リハビリで筋トレをしているので昔よりも筋肉がついたのではないかと言われています。
審査員の黒柳徹子さんから
「これからも人前で歌って欲しい」というようなことを言われると、
「いや、もういいよ!」とポツリとつぶやいて思わず会場から笑いが…。
この時のやり取りは本当に印象深いものでした。
そして毎朝、妻のめぐみさんの顔を見ると、
「おはよう、今日も元気に会えたな」と挨拶!
このケアハウスが自分たちの”終の棲家”だねなんて話しているんだとも。
大恋愛で結ばれた仲の良い夫婦の暖かい絆を感じて微笑ましいです。
出典:https://mrandmsreed.com/archives/6239
そして、辛い経験を乗り越えてきたからこそ、
生きている素晴らしさを日々実感されているのではないでしょうか。
最初の脳梗塞の時は早期発見で後遺症はなく、
次の小脳出血の時にも奥さまが迅速に対応してくれたそうです!
加山さんは妻のおかげで奇跡的に生還できたと本当に感謝しているようです。
加山雄三の復活の原動力とは!
加山雄三さんが二度の危機を乗り越えて見事復活した原動力となったもの!
それは一体何だったのでしょうか?
長い芸能生活の中、スキー場で圧雪車にひかれ重傷をおったり、
他にもアクシデントは色々あったみたいですが、
半年余りも第一線を離れたのは初めてだったそうです。
療養期間に胸に湧き上がってきたのは、
今まで関わってきた人たちへの「感謝の心」
そして必ず復帰するという「責任感」だそうです。
これまで自分はどれほど周りの人達に支えられてきたのか?
今度はその人達に対して恩返しをしなくてはいけない。
自分だけいい思いをしてこの世を去ってはいけないという気持ちもあったようです。
そのためには自分自身が努力して治す以外の方法はないと、
強く責任を感じたと言われています。
あとはやる気があるかないかも重要だと…、
周囲の人の存在を心の支えとしながらも決して寄りかかることはしない‥。
あくまでも「継続は力なり」という言葉を信じて、
努力しながら自分で起き上がることが復活への原動力となっているように思えます。
まとめ|加山雄三の脳梗塞の現在の病状は
加山雄三さんの現在の病状や後遺症について、
復活の原動力はどこにあるのかを調べてみました。
一時は生死の境目を彷徨うほど危険な状態でしたが、
ご家族の想いも通じて無事に回復されました。
後遺症のせいで言葉が上手く話せない状態でしたが、
言語トレーニングやリハビリで筋トレをされるなど…。
今では生活に支障がでないほど回復されているようです。
2019年の誕生月の4月には運転免許証を自主返納したそうです。
趣味のテレビゲーム中に反射神経の衰えを感じ、
運転が怖くなったのがきっかけだそうです。
そんな加山雄三さんですが、
ステージを降りると宣言されたことはとても残念です。
しかし最後のコンサートの中で、
「君といつまでも」の間奏のセリフ「死ぬまで君を話さないぞ」
この歌詞の部分を
「死ぬまで歌い続けるぞ」
このように歌って生涯現役を宣言!!
加山雄三さんにとって歌は「永遠の親友」だと言われるように、
これからは違う形で音楽活動を続けていかれるみたいですね。
永遠の若大将!
加山雄三さんはいくつになってもハンサムで生き様も本当にカッコいいと思います。
これからも愛する人々に囲まれながらいつまでもお元気で穏やかに過ごして行かれますように!
心から応援していきたい気持ちになりました。